[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

沖縄 (ウチナー) でーびる・その11

 

文・写真 稲福 達也

ペリーの置きみやげ

 ギネス認定の世界一の大綱を挽き合う那覇大綱挽も終わり、沖縄にも秋の気配が漂ってきた。新聞に よると今年の那覇大綱挽では、ペリー来琉150周年を記念して、大綱の中央で対峙する東西の 支度 (したく) に琉球国王の 尚泰 (しょうたい) とペリー提督が登場して二人が祝杯をあげるしぐさをする予定だったが、ペリー役の在沖米海 軍司令官の都合で変更したらしい。28万人もの人が詰め掛けた伝統行事の舞台裏で、ヘンな企画が 立てられていたものだ。
 ペリーの記念碑  日本での黒船騒ぎの前に琉球に寄港したペリーの記念碑が、那覇市泊の外人墓地にある。1964年 に高等弁務官府などが建立したもので、強行入城した首里城での宴席でペリーが述べた“琉球人の繁栄 を祈り () つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む”という言葉が刻まれているが、まるで置 きみやげのようなその言葉が、アメリカの施政権下で県民の心に染み入った様子は見られない。だから、 那覇大綱挽へのペリーの登場はいかにも唐突だし、後に琉球処分で最後の国王になる尚泰とペリーが祝 杯を交わす演出も、史実は、当時のペリー59歳、尚泰は僅か10歳。ペリーは、王府の虚々実々の駆 け引きで尚泰にも高官の 摂政 (せっせい) 三司官 (さんしかん) にも会えなかったという。 
 結局、那覇大綱挽の 支度 (したく) には北山王と中山王がピンチヒッターで登場し、北山王を擁した西方が勝ったようだ。お祭り だから勝敗の結果はそれでもいいが、那覇大綱挽にペリーの出番がくるのは次はいつのことだろう。



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