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寄稿]
くわっちーさびら・その17
文・写真
稲福 達也
船旅
3月末、種子島と屋久島を旅する為に、奄美経由のフェリーで鹿児島に行った。
今ではパスポートを手に往来した学生時代の船出の光景はないが、那覇に帰る日、夕陽を浴びた桜島を
望む港の埠頭は、奄美に赴任する先生を見送る人で溢れ、五色のテープが舞っていた。この季節の港の
風物詩だろうが、その様子を見ていると、かつての那覇港の情景が懐かしく蘇って来る。 |
鹿児島新港 |
船内の売店で見つけたボンタンアメ(本土帰りのおみやげの定番だった)をデッキで食べながら、暫く
想い出に浸った。翌日、奄美の島々に寄港する度に春の日差しが暖かくなり、港では先生を“イモーリ
”とか“メンショリ”( 沖縄の方言ならメンソーレ)と書いた横幕を掲げて迎え、与論島では生徒がエイサーを踊っていた。
那覇港に着いてタクシーに乗ると、どこの島から来たの?と訊かれた。鹿児島に行ってきたと答える
と、饒舌な運転手は「今時船で旅行する人は珍しいねぇ。 でもホントは船がいいさぁ。ボクも観光会
社に勤めていた時は、宮古や八重山への出張はわざと船で行ったよぉ。飛行機だとすぐに着いてすぐに
仕事せんといかんさぁねぇ。船なら一晩寝てから仕事すればいいさぁ」と、話がウチナーンチュモード
だ。久しぶりに港で別れのテープを見たと話すと「ボクは、本土に行きたくて親にクサムニーし
て集団就職に行ったけど、港で
チバティクーワと見送られ、船出のド
ラが鳴ってテープを見たら涙が出たさぁ。テープには色んな気持ちがこもっているさぁねぇ。港はあれが
いいんだよぉ。当時は神戸まで40時間かかったさぁ」。 運転手の昔話は延々と続き、それを聞きながら
私はまた楽しくなった。
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