しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第7回 オバア達の外来語・その2

オバア達の外来語、本題です。
私が二十歳のときに亡くなるまで一緒に暮らした祖母は、両親が子供の勉強部屋も必要になることだし、 と私の小学校入学を機に増築を計画した時、自分の部屋には台所と便所をつけろ、と主張して実現させ た人でした。「二世帯住宅」という言葉も無かった時代です。かくして外階段から上がっていく2階は祖 母の住宅、という風で、ドアを開けると左が祖母の台所、トイレ、和室で、右手が子供部屋になってい ました。

子供の頃、学校から帰ってきて2階のドアを開けると、たむろしている祖母の老人会仲間5、6人 が目に飛び込んできてびっくりすることがありました。沖映(那覇市にある沖縄芝居用のホール)帰り か那覇での買い物帰りで、私の家はバス停に近く、祖母の部屋は完全に独立していたので立ち寄りやすか ったのでしょう。夏は全員ツーピース(沖縄のオバアの典型的よそ行き着で、地味な化繊のレース地で できている)の上着を脱ぎ、白い木綿のシミーズ(死語になった外来語)姿でトドのように寝転がってい る様は、壮観でした。

そこで繰り広げられる話は大体子や孫の自慢話か、嫁の悪口です。隣の子供部屋にいる私は耳をダン ボにして聞いていました。これで、ウチナーグチのヒアリングを鍛えたような気がします。
「えー、あんたのところのちびは何年生だった?」
「あれはもう、 中学生 (ジュニアシー) なっているさー。その上はもうハイスクールよ。」
といった調子で、ところどころカタカナ語が挟まれるのですが、あまりにもウチナーグチに溶け込んでい て、ちょっと聞いただけでは方言なのか英語なのか分かりません。 

結婚後しばらくして、母の親戚のおばあさんを訪ねた時のこと。私は2年ほど前に結婚した、と聞いたそ のオバアは「だー、ぼーじゃーや(どれ、赤ん坊はどこだい)」と訊きました。私に代わって母が「今 はまだ儲けることに一生懸命で」と言い訳すると「ぼーじゃーとぅるわらーりーる、まーにーとーわら ーらんどー(赤ん坊と笑い合えるのであって、マーニーとは笑い合えないよ)」とニコニコしながら言 います。私は神妙に頷きましたが、マーニーの意味が分からず、帰り道母に尋ねると、「あんたよー、 通訳しているのにマーニーも分からないの。お金さあ。」との返事。お金、Moneyだったんだ!私はてっ きり自分の知らないウチナーグチだと思っていたので、とてもびっくりしました。

それにしても、何て含蓄のあることばでしょう。「子供はまだ?」と聞かれて憮然とすることの多かっ た私ですが、その時は素直に「そうだよな、大事なのはお金ではなく、子供だよね」と思いました。

さて、前述の祖母の話に戻りますが、小学生の私と弟は夜は祖母の和室で一緒に寝ていました。3人で ふざけて枕投げになることも多かったのですが、度を越した弟に対して祖母は「ゲレンモーター!」と ののしっていました。「ゲレン」はウチナーグチでバカという意味です。「くるくるパー」を沖縄では 「ゲレンパー」もしくは「ゲレンゲレンパー」と言います。子供の頃は気付きませんでしたが、この「 ゲレンモーター」のモーターはモーターボートのモーターなのでしょう。 

思い出すほどに、考えるほどに、ウチナーグチと英語って相性がいいなあ、と思います。次回は一番身 近な現役オバア、私の母が使う面白い外来語を紹介します。

しまぞーり

このページに関するご意見、ご感想はこちらまで。

お名前:
メールアドレス:
ご感想:

HOME