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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第45回 沖縄のお菓子II‐流行の移り変わり‐

43回では沖縄のどちらかと言えば伝統的なお菓子について書きましたが、今回は私が子供だった高 度成長期に沖縄のお菓子の流行がどう移り変わっていったのか書きます。

お菓子で子供の頃一番楽しみだったのは、やはり誕生日のデコレーションケーキです。それも、私が子 供の頃は生クリームではなくバタークリームで飾り付けられているやつ。バタークリームのバラの花に 銀色のアラザンがキラキラしたところが食べたくて、子供同士の争いのタネになったものでした。こんな ケーキが食べられるのは自分か兄弟、友達の誕生日の時だけで、それ以外にケーキが食べられる機会と言 えば、高校の合格祝いです。

沖縄では、今でもあるのかどうか定かではありませんが、高校に合格すると親戚や隣近所に合格祝いの ケーキを配る習慣がありました。私が小学校に上がる頃までは、合格饅頭と言いつつ紅白の餅が配られてい ました。私の記憶では紙の菓子箱に掌くらいの大きさで、「合格」のシールが貼られたり、砂糖で書かれた ピンクと白の餅のセットで、白餡が入っていたような気がします。餅ではなく、本当に饅頭のこともありま したね。黒いあんこのたっぷり入った、大きな紅白の饅頭。それからしばらくすると、カステラが 主流になりました。金色の細長い箱に入ったカステラ。私は台紙についたカステラの底の、おこげみたいな 黒いところが好きでした。金の箱は子供の宝箱になりました。女の子は紙の着せ替え人形の洋服を入れ、 男の子ならパッチー(沖縄ではメンコのことをパッチーと呼んでいました。丸ではなく、長方形のもの) やビー玉を入れていました。

しばらくすると、カステラに代わって洋菓子のケーキが配られるようになりました。最初はバタークリー ムのケーキで、しばらくすると生クリームを使った苺のショートケーキ。それから、チーズケーキが流行し ます。ベークドチーズケーキ。毎年、春になると高校の合格祝いに数か所からケーキを頂くのですが、 ある年はあっちからもこっちからもチーズケーキが届き、冷蔵庫中チーズケーキ、ということもありまし た。チーズケーキが大好きだった私には、幸せな年でした。

チーズケーキの後に流行したのが、先ごろテレビの「ケンミンショー」でも取り上げられていたらしい ジャーマンケーキ。私も知らなかったのですが、ジャーマンケーキは沖縄にしかないケーキなのだそうです。 チョコレートケーキの中にも、その周りに塗られるココアクリームの中にもココナッツがたっぷり入って いるケーキで、私自身の高校の合格祝いは、確かこのジャーマンケーキだったような気がします。ケンミ ンショーを見た私の美容師さんにジャーマンケーキの話を聞いて、そう言えば上京してから食べたこと ないなあ、と思い、この夏帰省した時には何十年ぶりかで食べてみました。Jimmy(沖縄で人気の菓子メーカー) のジャーマンケーキは昔と変わらない、アメリカンな美味しさでした。

ジャーマンケーキ流行の後は、Jimmyのパウンドケーキだったりクッキーだったり、はたまた和菓子のセット だったり、飽食の時代を反映して百花繚乱だったようながします。今でも高校の合格祝いにケーキを配る 習慣って残っているんでしょうか。残っているとしたら、どんなケーキが配られているのでしょうかね。

12/05/12

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