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![]() ![]() 1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。
第38回 私が子どもだった頃、ときどき魚の入った金盥(かなだらい)を頭に載せたおばあさんが「 魚好きでオバアにはめっぽう弱い父が家にいる時は、「可哀想だから全部買ってあげなさい。」などと母に 命じてたらい一杯の魚を買わせていました。そんな日の夕ご飯は魚のアラのおつゆにお刺身、煮魚 と魚づくしで、それから2、3日は毎日魚料理が続くので魚嫌いの私には苦痛でした。そんな私も、 オバアの糸満の独特なイントネーションのおしゃべりを聞いたり、魚を秤に乗せ、ウロコを取るのを 見たりするのは大好きでした。 パンこーみそーらにと言っていたかどうかは覚えていませんが、同じような金盥に菓子パン を入れて売り歩いているオバアもいました。私の家の近所に金城ベーカリーというパン屋さんと工 場があり、家に来るオバアはそこからアンパンや渦巻きパン、メロンパン、クリームパンなどを仕 入れて売り歩いているようでした。値段はお店で買うときと同じ1個5セントなのですが、何となく たらいに入っているパンの方が新鮮そうだし、働くオバアへ敬意を表す意味もあって、母は毎回10 個ほどまとめ買いしていました。
父やおじさん達が片手で子どもの両手、もう一方の手で両足を持ち上げてぶらぶらさせながら、「
この頃は沖縄にいても 2/23/11 ![]() このページに関するご意見、ご感想はこちらまで。 |