Home>私のウチナーグチ考>サイトマップ

しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第33回 ありえない苗字

 昨日沖縄への修学旅行から帰ってきた娘が、沖縄のバスガイドは優秀である、という土産話をし てくれました。3人のバスガイドさんにお世話になったそうなのですが、どの人も上手で、特に最 後にお世話になったガイドさんが小さくて太っていて、でも可愛くて歌も上手で最高だった、と いう話でした。「デブでブスでごめんなさいね。」と自己紹介したそのガイドさんの名前は、 阿波根(あはごん)さん。それを聞いたとき、思わず 「え?あはねじゃなくて、本当にあはごんだったの?」と尋ねてしまいました。 もともと(ごん)と読んでいたのを、近頃は ()と読ませる場合が多いので、ちょっと 懐かしく嬉しく思ったのでした。

 比屋根(ひやね)と読むのが一般的な苗字も、 もともとはひやごんだったのです。私の荻堂という苗字もそうですが、沖縄の苗字には聞き なれないものが多いというか、独特なものがほとんどです。娘の修学旅行は平和学習が主目的で、ひめゆり祈念 館では語り部の元女学生の話を聞いたそうですが、「私の隣で倒れていたのは荻堂さんだったのです。」 って言ったのよ、と娘が憤慨していました。「何で佐藤じゃなくて荻堂なわけ?」と。「佐藤や高橋や 鈴木や、ヤマトではありふれた苗字って沖縄ではあり得ませんからね。」と言ったら娘はヘンな顔を していましたが、実際そうなのです。

 東京で生まれ育ち、ものごころついた頃からさんざん変わった苗字だね、珍しいね、と言われ続 けてきた娘にとって、沖縄では「荻堂」はさほど変わった苗字ではない、ということがどうも実感 できないようですが、金城さんや比嘉さんほど多くないにしても、隣で倒れていたのが荻堂さん、 というのは驚くほどではありません。

 ところで、私の旧姓は照屋(てるや)で、沖 縄では金城、比嘉、玉城、新垣、大城などに次いでよくある苗字です。そして「なおみ」というのも 私の世代では多い名前で、学校には「てるやなおみ」という子が私以外に必ずもう一人いました。同じクラス に「照屋君」が二人、なおみさんがもう一人はいた、という印象です。なおみはともかく、私はこの ありふれた照屋という苗字が嫌いで仕方がありませんでした。何より、響きがダサい。小学生の頃、 「てんぷくトリオ」がテレビで大人気で、私は男子から「てんぷくてるやぁ」と呼ばれていて、そ れもイヤだったし、音楽の時間に「秋の夕日にてるや(・・・ )まもみじ〜」と、わざと強調して歌われるのも死ぬほどイヤでした。

このダサい苗字とおさらばするために、絶対結婚するぞ、と子供心に思っていたのですが、当時 私が好きだったのは阿波根くん。気は優しくて力持ち、の癒し系、ムーミンみたいな男の子だった のですが、阿波根くんと結婚すると私は「あはごんなおみ」。ううむ、怪獣みたいだ、あり得ん、 と、私は阿波根くんとの結婚をあきらめたのでした。そんな私だったので、中学3年生の時の担任の 照子先生が結婚して「照屋照子」になった時には、心の底から驚きました。どんなに愛していても、 自分が照子なら絶対照屋とは結婚しない!

私が夫と結婚したのは、私にとって「荻堂」という苗字が照屋ほどありふれたものではなく、内 地風でカッコイイと思ったことも大きな理由かもしれません。ところが、結婚して東京で暮らして みれば、荻堂です、と自己紹介するたびに驚かれ、どんな字を書くの、と聞かれ、あからさまに「 ヘンな名前!」と言われることも珍しくありません。旧姓を聞かれて「照屋です。」と恥ずかしげに 答えると、これが全然驚かれず、どんな字を書くの、と聞かれたこともありません。

それどころか、沖縄好き、島歌好きなヤマトゥンチュに旧姓は照屋、と言うと照屋林助や林賢、 ガレッジセールのゴリと同じ名前なのね、と瞳が輝き、ほんのり羨望の色さえ浮かべるのです。沖 縄にいる時には全く想像もしていなかったのですが、荻堂です、と言うより照屋です、と言う方が 通りがいいのです。そうと分かっていれば、結婚しないでずっと照屋直美で通せば良かった、 と思わないでもありません。

 照屋という苗字はどうもダサい、という感覚は私だけではなく、ウチナーンチュが共通に持って いるものらしく、昔東京に出てきたばかりの先輩に頼まれて、彼女を私と同じ職場に一時的にアルバイト として雇ってもらった時のこと。彼女は事務職員に「荻堂さんは今でこそ荻堂ってすましているけ ど、旧姓は照屋だったのよ。」と話していて、事務職員はどう反応していいのかぼんやりしていま した。先輩はきっと、ヤマトゥンチュの中でつんとすまして威張っている後輩にちょっと意地悪した くて、ダサいでしょ〜、っと笑い話にしたかったのでしょうが。。。おそらくほと んどのヤマトゥンチュには、照屋はダサい、という感覚はなさそうです。

 あり得ない苗字と言えば、昔私が照屋と名乗っていた頃、仲良くなったヤマトゥンチュ達と照屋 って沖縄独特の苗字だよね、沖縄には変わった苗字が多いよね、という話をしていて、私が 阿波根(あはごん)仲村渠( なかんだかり)平安名(へんな) などの例を挙げていると、広島出身の学生がいきなり「そうそう、沖縄には 大便(だいべん)なんていう苗字もあるんだよね。」と 言い出しました。私はひどく憤慨して「無いですから!」と否定したのですが、「君が沖縄出身 だからといって、沖縄の全ての苗字を把握しているわけではないだろう、僕は実際大便さんという人を 知っているんだからね。」と言われて非常に悔しい思いをしました。御手洗 (みたらい)という苗字があるくらいだから、大便という苗字もあり 得るでしょう、と勝ち誇ったように言っていましたが、私は沖縄で見たことも、聞いたこともない ですから。あり得ませんから!実際ない、ですよね。

 広島出身の彼がどうしてそのような勘違いをしたのか、未だに不思議ですが、昔のウチナーンチ ュに対する偏見や差別の名残りの、亜種かもしれません。昔は変わった沖縄の苗字がダサい、格好 悪いと思っていましたが、今はヤマト風に読ませたり、改名したりせず(仲村渠( なかんだかり)は仲村、平安名(へんな) は平安(ひらやす)に改名している場合が多い)そのまま堂々と使うのが格好いいなあ、 と思います。それだけ沖縄が世の中で認められているから、でしょう。

12/16/09

しまぞーり ▲ページトップへ

このページに関するご意見、ご感想はこちらまで。

お名前:
メールアドレス:
ご感想:

HOME