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![]() ![]() 1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。 第26回 新正と旧正
今では沖縄の中でも旧正月を祝う地域は少なくなっているようですが、私が子供の頃は那覇周辺の
「都会」では新正月、農村部では旧正月を祝うところが多く、旧の正月一日が平日に当たっている場
合は学校は半ドンでした。それぞれ 冬休み中だし、テレビでも正月番組をやっているし、新正の方が正月らしい雰囲気にあふれていま したが、お年寄りを中心に新正はあくまでもヤマトの風習で、沖縄の本当のお正月は旧正である、 という気分も都会にもありました。子供にとっては、どちらも晴れ着を着れて、ご馳走が食べられて、 お年玉(もちろん、ドル)ももらえて、楽しいお正月でした。 晴れ着と言えば、沖縄でも女の子は化繊の子供用の振袖を着てお太鼓を締め(成形されたものを ワイヤーで帯に挟む)、髪の毛は長ければ桃割れに美容室で結ってもらうか、おかっぱにでっかい 蝶々のリボンを飾るのが一般的。母の実家は典型的な沖縄の木造瓦葺屋根の住宅で、仏間と客間の 横に廊下があったのでお姫様ごっこに最適、ということで、私を含め女の従姉達は申し合わせて旧 正に着物を着るようにしていました。当時テレビでは今より時代劇が多かったし、少女漫画に梅図 かずおの「鬼姫」というのがあって、それも従姉の間では人気。なので、旧正月には着物の裾を引 きずりながら「わらわは鬼姫じゃ!」などと言って、廊下を意味もなく歩いていました。 那覇で過ごす新正月には、暮れにお正月用に買ったワンピースを着ます。男の子たちもスーツに 蝶ネクタイ、母やおばさん達も着物やスーツで髪の毛は美容室でセットしてもらっていました。おじ さんたちはスーツにネクタイが多かったですが、着物の人もちらほら。今から考えると、みんなすご く気張っていたな、と思います。今ではお正月だからといって着物を着る人も少なく、ドレスアップ している様子はあまりありません。スーパーでジャージでうろうろしている人も多いです。 復帰前後から、旧正月はうーじとーし(キビ倒し、サトウキビの収穫)の時期と重なるの で廃止、という地域が多くなり、お正月と言えば新正月であり、新正、旧正ということばも使われ なくなりました。頑固なオジイやオバアがいなくなり、お正月の台所を差配していたおばさん達も 年を取ってご馳走を作らなくなり、今では親戚回りも止めてお正月は家族だけで過ごす、というのが 一般的になりつつあります。楽と言えば楽ですが、うんと気張って華やかなお正月が懐かしくもあり ます。 12/08/08 ![]() このページに関するご意見、ご感想はこちらまで。 |