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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第25回 アタイとハル

 最近「テーゲーの会」の人たちと三線のおけいこを始めた私。美しく耳に馴染みのある旋律に乗せ られる歌詞に、考えさせられることが多いです。全く意味の分からないものもあります。とういうわ けで、しばらく琉球民謡・古典の歌詞が登場することが多くなるかもしれません。

 先日は、軽やかな女踊り「貫花(ぬちばな)」 で歌われる「武富節(だきどぅんぶし)」を練習 しました。少し練習した後で、このとき配られた工工四(くんくんしー) (三線の楽譜・歌譜)のコピーには丁寧なヤマトグチ訳もついてることが分かったのですが、歌い出しの

 でちゃよ押し連れてあたい花むいが 花や露かむてむいやならん( でぃちゃよ'うしちりてぃ'あたいばなむいが はなやちゆかみてぃ むいやならん)

 さあ 連れ立って近くの畑の花を積みに行こう。 花は露に濡れて摘むことができない。

 と訳されていて、思わず「うわ、訳し過ぎ。どこにも畑なんてないじゃん」と叫んでしまったの ですが、よく読んでみると「あたい花」の「あたい」は畑であることを思い出しました。それで、す ぐ「あ、『あたい』というのが、畑ですね。」と訂正すると稽古仲間一同(宮古人 (なーくんちゅ)一人を除き全員ヤマトゥンチュ)素直にほう、と 受け入れてくれたのですが、そのうちの一人が「あれ、でも畑ってハルって言うんじゃないですか?」 とまことに鋭いご質問。(テーゲーの会の人たちは本当に勉強熱心で、ウチナーグチも私よりよく 知っているほどなのです)

 えーと、と考える間もなく「ハルは大きな、普通の畑で、アタイは家庭菜園のような、屋敷内に ある小さな畑です。」と答えました。一同なるほど、さすがはウチナーンチュ、と大いに感心してく れたようでした。普段三線も歌も一番下手くそで小さくなっている私の面目躍如、と自分でもちょっと 誇らしかったのですが、帰り道、そもそも私の家にはアタイなどなかったのに、そして大人たちがこ の言葉を発している記憶も無いのに、なぜこの言葉を知っているんだろう、と考えてみました。

 それで、すぐに思い出しました、どこで私がアタイを勉強したのか。私は一度大学受験に失敗して 沖縄の某予備校に一年間通ったのですが、そのとき夏期講習か補講で一度だけ受講した社会科の先生が 「庭の隅にあるような、小さな家庭菜園のことを方言で何と言うか知っていますか?アタイ (ぐゎー)と言うんですよ。」と言っていたのでし た。

 今ではその講師の名前も、社会科のどの学科だったかも覚えていず、授業で何を習ったかも全く 覚えていませんが、なぜかアタイ(ぐゎー) という言葉だけは覚えていたのです。しかも、このことを思い出したのはおそらく今回この武富節 の歌詞を読んだ時だけ。自分が知っている、と意識もしていない言葉が、歌詞を読んで記憶の底か らぱぁーっと呼び起こされた感じで、不思議な感覚でした。

 三線を弾いて歌うということは、今の私には下手すぎて苦痛以外の何ものでもありませんが、ウ チナーグチで歌うことによって思いもよらない記憶が、特に記憶の底に眠っていた言葉がよみがえっ てくるような予感がして、しばらく続けてみようかな、と思っています。

10/30/08

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