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私のウチナーグチ考
1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、
両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思
い入れを紹介します。
第20回 遊びの中のウチナーグチ・その1
遊びと言っても、私が子供の頃の昭和三十年代から四十年代初めのこととご承知置きください。私
がこれから思い出しながら紹介する遊びは、きっと全国的に遊ばれていたものが多いだろうと思いま
すが、今じゃあ東京はおろか沖縄でも見られない遊びです。
おそらく隣近所の子供たちと最初に遊んだ遊びは石蹴りです。地面に棒切れで5×2段の升目を引
いて、5段目の上に半円をつなげ休憩所とします。じゃんけんで順番を決めて一人一人右側の一段目
から升目を一つづつケンケンで石を蹴って進んで行き、休憩所で一休みして左側の升目を一段目に向
かってまた一升づつ進み、無事元の場所に戻ってきたら升目に背を向けて石を背面に投げ、見事升目
に入ったらそこが自分のシマになる、という遊びです。石蹴りと言っても、当時はどこにでも赤瓦の
かけらがころがっていたので、実際には瓦蹴りです。途中で両足を地面についてしまったり升目を飛
ばしてしまったらアウトになり、アウトになった升目に自分の瓦を置いておきます。次の人はその瓦
にぶつからないように、その升目を飛ばして進まなければならないのですが、万が一ぶつけてしまっ
たら、そこでアウトになります。このようなアウトのことを瓦がっちゃんアウトと言っていました。
これは、当時何も考えずに使っていましたが、ウチナーグチ(瓦)と擬音語(がっちゃん)と英語(アウト)がドッキングした、何とも
ちゃんぷるーな言葉です。今は死語になっているのが、惜しいくらいです。この瓦蹴りで、自分のシ
マになった升目には好きな絵を描いてもよいことになっていたのですが、なぜかみんな温泉マークを
描いていました。
小学校に入って夢中になった遊びは石ナーグーでした。黄粉飴くらいの大きさの石5個を
それぞれが持ち寄り、1個放り投げている間に地面や机の上に置いた残りの石を1個ずつ、次は2
個ずつ取っていく遊びでした。細かいルールは忘れてしまいましたが、最後は放り投げた全部の石を
利き手の甲で受け止め、再び放り投げて今度は掌でキャッチして、キャッチした数の多い人が勝ち、
ということでした。私はこれがめっぽう上手だったのです。手の甲でキャッチした石を再び掌でキャ
ッチし易いように手や指を動かして石を真ん中に集めるのですが、みんなそこでいくつか落としてし
まいます。でも私は上手に真ん中に集め、一つも落とさずに掌でがっちりキャッチ。連戦連勝の私
を友人達はゆーくー(欲張り)と呼んでひがんでいました。
その石ナーグーに使う石には最適な大きさと滑らかさがあり、女の子達はみんな石ナー
グー用の石を求めて歩き回っていました。○年○組の花壇のそばがいい、とか給食センターの周
りの石がいい、とか噂が流れるとそこに行って拾って来たりもしました。使い込んでスベスベになっ
た友達の石を勝ち取る快感といったら・・・
放り投げて手の甲で受け、掌で再びキャッチするという遊びは輪ゴムにも応用され、ゴムくゎー
えーと呼ばれていました。このくゎーえーを訳す、説明するのが難しいのですが、く
ゎーはこの頃人気のシークヮーサーのくゎーで、食らわすという意味です。で、え
ーが○○ごっこ、のごっこにあたる言葉です。強いて訳せば奪い取り合戦でしょうか。チェーリ
ング(商品名はチエリングだったようですが、沖縄の子供たちはチェーリングと呼んでいました)が
登場すると、石や輪ゴムはこのチェーリングに瞬く間に取って代わられ、チェーリングくゎーえ
ーが大ブームとなりました。
男の子はもちろん、このようなくゎーえーに参加することはあまりなく、普通にビー玉、
コマ、メンコで遊んでいましたが、私の周りの男の子達はメンコのことをパッチーと呼んでいまし
た。パッチーくゎーえーと言うこともあったような気がします。
こうして考えてみると、私の子供の頃の数年間でくゎーえーは全くお金のかからない石か
ら輪ゴム、プラスチックのチェーリングへと変遷していった訳で、まさに高度成長期の中で成長して
いたのだな、と感慨深いです。
ここまで書いてきて、まだまだこのテーマで書きたいことがあることに気付きました。今回を「そ
の一」とし、近いうち「遊びの中のウチナーグチ・その2」を書きますね。お楽しみに。
2/14/08
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