![]() ![]() 1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。 第1回で、ウチナーグチで「ごめんください」を何と言うかわからない、と書いたところ「沖縄そば屋巡り」 の稲福先生から「チャービラサイ」である、と教えて頂きました。他家を訪問する時は「チャービラサイ 」だけれど、お店に入る時もそう言うとは知りませんでした。ありがとうございました。 第2回 むちゃむちゃ 私は子供の頃日常的にはほとんどウチナーグチを話すことはなく、学校では国語の成績も良かった ので、自分の日本語はアクセントやイントネーションは沖縄風だけれどほぼ完璧、と思い込んでいまし た。高校までは、一人や二人のヤマトンチュが学年全体にはいたものの、クラスメイトはほぼ100%ウ チナーンチュという環境で学んでいたため、この大いなる幻想が崩れることはありませんでした。 ところが大学に入ると、地元とはいえ学生の半分はヤマトンチュ。また英文学を専攻し言語学の授 業でウチナーンチュの日本語がいかにヘンか、ということも頻繁に話題になりました。例えば、沖縄の 人は正座のことを「ひざまずき」と言います。日本語では「ひざまずく」という動詞はあっても「ひざ まずき」という名詞はありませんが、沖縄ではごく当たり前に「はい、ちゃんとひざまずきしなさい。」 などと言っています。これが正当な日本語ではない、と知った時にはかなりびっくりしました。沖縄では この「ひざまずき」のような、日本語(ヤマトグチ)のようで実はヤマトグチでも正当なウチナーグチ でもない言葉のことを「ウチナーヤマトグチ」と呼んでいます。 これからしばらく、大学入学以来私が実際に体験した日本語に関するカルチャーショック、「これっ てウチナーヤマトグチだったのね!」と思った経験を取り上げていきたいと思います。 第一弾は初めて自分の幻想が音を立てて崩れた瞬間、「むちゃむちゃ」のエピソードです。 大学1年の梅雨時のある日、 キャンパスで教室を目指して歩いていた私は、クラスメイトの熊本出身 の五瀬君に会いました。雨こそ落ちていないものの、蒸し暑い朝で彼は開口一番「暑いねー、蒸すねぇ。 」それに対し私は「本当ね。むちゃむちゃして気持ち悪いよね。」と言いました。すると五瀬君 の顔が大きな?マークになりました。「だから、むちゃむちゃして...」と実際に汗で湿っぽ くなっていた肘の内側をぺたぺた手のひらで叩きながら言うと、彼は少し考えてから「ああ、べとべと っていうことね。」と言ったのでした。 むちゃむちゃは日本語ではない、と主張する彼に対し、いいや絶対日本語である、むちゃ むちゃの方がねっとりした感じがするではないか、と譲らない私。それなら、と負けず嫌いの私は 通りかかった生協の書籍コーナーへ走り「広辞苑」でむちゃむちゃを引いたのでした。「ない!. ..」 その後のことは何も覚えていません。ウチナーグチに「むっちゃいくゎったい」という言葉があり、 私のむちゃむちゃはそこから派生したウチナーヤマトグチなのでしょう。とにかくこの時、私 の日本語に対する自信は見事に崩れ去りました。それ以降私は自分の使う日本語に注意するようになり、 何の因果か翻訳の仕事をしているので、今だに日本語と格闘しているのです。 ![]() このページに関するご意見、ご感想はこちらまで。
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