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私のウチナーグチ考
1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、
両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思
い入れを紹介します。
第19回 カーギあれこれ
巷でNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」が話題になった頃、よくヤマトゥンチュに「荻堂さ
ん、ちゅらさんて美人という意味よね」と言われました。大抵そうだ、と答えていましたが、厳密に
言うとちょっと違っていて、美しいという意味です。その頃を境に「美
ら海」とか「美ら島」とか、「ちゅら」を使った言葉が多くなっているような気がします。
では、美人というのはウチナーグチで何というのでしょうか。同じように「ちゅら」がつきますが、
「美ら人」ではなく、「美らかーぎー」と言います。沖縄好
きな皆さんならよくご存知でしょう。かーぎは、標準語で言えば「器量」です。美人は良い器量、
ということでしょうか、「いいかーぎ」と言うこともあります。不美人は悪い器量なのでやなかー
ぎーですね。(この「やな」については、第14回の上等とヤナー
を参照して下さい。)
カーギと言えば、昔久々に訪ねて来た祖母の友人にお茶出しした時、「直美ちゃん、ちゅらかーぎ
ーになったねえ」と言われて一瞬大喜びしたのですが、すかさず祖母が「うれーふどぅび
かーどんどんし、
ふどぅいーしんでー
たったかーぎやんでぃてぃ」
と反論し、大いに落胆しました。何がショックって、このやんじゅん(壊れる、壊す、悪く
する)転じて「やんでぃてぃ」という言葉です。単にやなかーぎーとかブスとか言われるよ
りよほどショックでした。やなかーぎーとかブスとかはしょっちゅう言われていて、慣れて
いたのかもしれませんが、「かーぎやんでぃてぃ」って文字通り修復できないほどブスという感じで、
精神的ダメージが大きかったです。
美人がもてはやされるのは沖縄でも同じで、恋人の条件に美人であることを求める人(主に男の人
ですね)を「かーぎ んじゃー」(顔を見る人)、「かーぎ選ばー」と言います。私の母が言っているのしか聞いたことがありませんが、
「他島ぬちゅらかーぎーやか島ぬ鼻はがー」(他所のムラの美人より同じムラの鼻ぺチャのブス)な
んていうすごい警句もあります。お嫁さんにするなら見も知らぬ土地の美人より、気心の知れた同じ
共同体で生まれ育ったブスにしなさい、ということなんですが、母は見も知らぬヤマトゥンチュや外
国人ではなく、同じウチナーンチュと結婚しなさいよ、という意味で使っていました。私にはヤマト
ゥンチュや外国人の友達も多かったので、遠くへ嫁いでしまうのでは、と心配したのでしょう。同族
意識の強いウチナーンチュ、特に母の世代では珍しくないことだと思います。
その母がよく言っていたことに、「かーぎや
ちらぬかー」という警句もあ
ります。不器量をかこつ私に対してよく言っていたことですが、器量は単に顔の皮に過ぎない、大切
なのは心、という意味です。でもこんな警句があるということは、それほど器量の良し悪しに惑わさ
れる人が多い、ということですよね。
美人と言えば、某県立高校で補充教員をしていた頃、授業参観にものすごい美人のお母さんが来る、
というので、男の先生達が色めき立っていたことがあって、新入りの私が「え?誰のお母さん?」と
聞くと、A子の母親だと言います。でも当のA子は美人というわけではなく、ごく普通の女子生徒。
おかしいなあ、と疑問に思いながらやがて現れたA子の母親を見ると、噂に違わぬ美人でした。そし
て、それなのに娘のA子に親子らしく似ているのです。ううむ、と思いながら見ていると、社会科の
年配の男の先生が「にいやんとーさやー(似そこなったんだね)」とつぶやきました。
そういうことなんだな、そういう言い方をするんだな、と感心しながら、その先生に「その通りで
すね、では逆に、親に似ているけど、親よりずっときれいな場合は方言で何と言うのですか。」と質
問しました。その先生は首里出身で同じ首里人ということで、教科も世代も違うのに私によく話しかけてきていて、方言をよく知っ
ていることでも有名な先生でした。でも即答できず、考えておくから、とその場は終わりました。
数日後の朝礼で、その先生はつつつ、と私に近づき、「先生、この間の話だがね、」と
話し始めました。何だったかなあ、と思っていると、「親にそっくりだけど、親より美人というときは
ね、『にーまし』と言うよ。」初めて聞く言葉でした。漢字で書くと「似増し」です。周辺の私より
年上の先生達にとっても耳慣れない、でも納得の言葉だったようで、しばらくなるほどね、さすがですね、と方言談
義に花が咲きました。首里人のその先生の面目躍如、という感じでした。
あれから20年以上経ち、もはや自分のカーギは全然気にならない年になってしまいましたが(その点で年を取るのは素敵な
ことだと思います)、チムグクル(心)は死ぬまで磨いていかなければ、と思っています。
10/12/07
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