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私のウチナーグチ考
1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、
両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思
い入れを紹介します。
第17回 先生達のウチナー
ヤマトグチ
私は小学校から大学まで沖縄で教育を受けていますが、私を教え導いてくださった先生方もヤマトゥ
ンチュや外国人は数えるほどで、ほとんどがウチナーンチュでした。先生方が学校で方言を使うことは
ほとんどありませんでしたが、その「標準語」は今にして思えばかなり沖縄的、ウチナーヤマトグチだ
ったなあと思います。今回はその先生方のウチナーヤマトグチを紹介します。
今ではさすがに耳にしなくなりましたが、私が小学生の頃、年配の校長先生などは運動会、学芸会、
と言う時の「会」を「くゎい」と発音していました。「皆さん、いよいよ待ちに待った運動
会です。」といった具合に。不思議に思っ
た私は、なぜ校長先生がそのようなヘンな発音をするのか、父に尋ねてみました。父は、戦前は会をく
ゎいと発音していた、と説明し私もその時はへえ、と納得したのですが、よく考えてみると高齢のヤマ
トゥンチュ、例えば俳優さんなどがそのような発音をしているのを聞いたことがありません。身近に
高齢のヤマトゥンチュがいなかったので断言は出来ませんが、あれはやっぱり沖縄のオジイ独特の発音
だったのでは、と思います。
校長先生を始め、マイクの前で話をする先生方の言い回しで耳についたのが、「去った
○月×日」という言い方。正しくは「去る○月×日」な
のですが、過去のことだからと思うのか「去った」と仰る先生が多数だったような気がします。
上の「去った」同様、先生に限らず年配のウチナーンチュに多い言い回しが「〜しない前」という言い
方です。中学の頃理科の先生に「アルコールランプに火をつけない前に、ビーカーに薬剤を入れておき
ましょう」などと教えられ、いったいいつ?と戸惑った覚えがあります。何となく「火をつける前」と
分かりましたが。ウチナーグチに「〜さんまーどぅ」(〜しないうちに)という言い回しがあるので、
その影響かなあと思います。
これも先生に限ったことではありませんが、年配のウチナーンチュ、特に男の人に発音の悪い人がい
て、「さ」が「しゃ」に、「せ」が「しぇ」になるのです。中学の頃男子の技術家庭科を教えている先
生が「三千ボルトから
八千ボルト」と教えている声が聞こえてきて、
友人と二人息が止まるかと思うほど笑った覚えがあります。その先生は怒りっぽくてすぐびんたを張るこ
とで有名で、私たちはいやー男子でなくてよかった、もし男子だったら毎日殴られていた、と胸をなで
おろしていました。
これも中学生の時の話ですが、朝礼に遅刻しそうになり、前を走っている体育教師に「先生、今何時
ですか。」と聞いたところ「8時6分」
と答えて下さったので、制服の紺のひだスカートがまっ白になるほど笑い転げ、出席簿でしたたか叩か
れたこともありました。この先生も男子の体育を担当していて、もし女子の担当だったらやはり私は
毎日殴られていたと思います。この先生は「ら」が「だ」、「ろ」が「ど」になってしまう人だったの
でした。明日は大きな台風襲来か、という日に、「学校が休みになるかどうかは、テレビやラ
ジオをよく聞いて判断して下さい」と説明したこと
もありました。この時は友人が私の口をふさいでくれて、叩かれずにすみました。
私の夫の中学の時の国語教師は「野生
のエルザ」と言っていたそうです。
国語の先生なのに可笑しい〜、とその話を聞くたびに笑ったものですが、最近その先生が女性だったこと
を知り、さらにびっくり。発音が悪かったり吃音だったりするのは男、という私の偏見は見事に崩れ去り
ました。
話はそれますが思い返してみると、ヤマトでもそうだったかもしれませんが昔の沖縄の先生はよく
生徒を殴っていたなあ、と思います。今では名前も思い出せませんが、いつも竹刀のような棒切れを持ち
歩いて生徒をビシバシ叩いていた棒切れ
というあだ名の先生、短気者と呼ばれて
いる先生もいました。当時は殴られると「やな先生小
」と毒づいていましたが、現在の多くの公立中学校の荒れ方を見ていると、叩くのもあり
かも、と思います。
8/02/06
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