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私のウチナーグチ考
1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、
両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思
い入れを紹介します。
第15回 具志堅用高語録
具志堅用高といえば、石垣島出身の元WBA世界Jrフライ級チャンピオン。13回連続でタイトル
を防衛した沖縄県民のヒーロー。ボクシングには全く興味のない私でも、彼が現役ボクサーの頃のテレ
ビ中継はおそらく全て見ていると思います。高校野球で沖縄の高校が登場する試合と、具志堅用高の試
合の中継の際は家族全員がテレビの前に陣取り、選手の一挙一動に歓声を上げたりため息をついたりし
ていました。当時の沖縄の多くの家庭で同じような状況だったと思います。テレビ中継がある時は、通
りの交通量まで激減していたのです。(我が家は大通りに面していたので、よく実感できました)
具志堅が試合に勝って、やったー!と家族は興奮の頂点に達するのですが、ヒーローインタビューが
近づくと冷静になり、あぁ、また何かヘンなこと言わないかしら、とハラハラドキドキしました。そし
て大抵いつも私たちの期待通り?に頓珍漢なことを言ってくれるので、私たちは「口を利かなければ
りっぱななチャンピオンなのにねえ」、とか「ヒーローインタビューなければいいのにね」、とか言っ
て笑い、残念がっていました。翌日は学校でも、具志堅の試合の内容よりその発言内容を話題にしてい
たような気がします。
今では沖縄ブームを通じてウチナーグチも耳新しいものではなく、市民権を得た感がありますが、当
時は全国放送で耳にすることはまずなく、ウチナーンチュにとっては沖縄なまりはどちらかといえばコ
ンプレックス。それを、あられもなく晒してしまうことを、当時の私は少女の潔癖さからか、「恥ずか
しいこと」と思っていました。が、今は無邪気に沖縄なまり丸出しでしゃべっていた具志堅が、色々な
意味でいとおしく思えます。今回はそんな具志堅のおもしろ語録を紹介します。
具志堅の引退後だと思いますが、「具志堅がこんな面白いことを言った」という数々のエピソードを
話すことがブームのようになっている時期がありました。典型的なものは、次の通り。
インタビュアー:「具志堅さんの家の家紋は何ですか。」
具志堅:「ブロックです。」(家門と勘違いしたんですね)
インタビュアー:「具志堅さんの母校興南高校の伝統は何ですか。」
具志堅:「蛍光灯です。」(電灯と勘違い)
これらが本当に言われたことなのか、真偽の程は私には分かりません。が、次に紹介するのは私が実
際に見聞きしたことです。
防衛戦も最後の方だったと思いますが、テレビで試合前の具志堅の表情を映しつつ、具志堅の経歴や
コメントがテロップで流された時のこと。「ボクサーになっていなければ、何をしていたと思いますか」とい
う質問に対する具志堅の答が「海を歩いていたでしょう」になっていました。見ていた私の家族は、「
あいえーなー、海あっちゃーをそのまま直訳している!」と全員ひっくり返りました。具志堅は「漁師
になっていたでしょう」と言いたかったのだと思います。
ウチナーグチで漁師のことは海あっちゃー、お百姓さんのことはハルサー(畑をする人)またはハル
あっちゃー、と言います。あっちゃーというのは歩く人という意味なので、直訳すると海あっちゃーは
「海を歩く人」となるわけです。学生のことを学校あっちゃーと言うこともあります。で、沖縄のオバ
アの中には学生だよ、と言いたい時に、具志堅のように「学校歩いているよ」という人が少なくありませ
ん。
次のエピソードは具志堅が引退後、確か渡嘉敷(元WBA世界ライトフライ級チャンピオン)の試合
の解説をしていた時のこと。具志堅が解説者ということが分かった瞬間に、私の家族は「大丈夫かねえ」
と不安を隠しませんでした。案の定、具志堅は「渡嘉敷はがーじゅーですから。」とコメント。がーじ
ゅーとは、ちゃんぷるー通信を購読されている方はご存知
だと思いますが、気の強い人のこと。司会者はすかさず、「具志堅さん、それは沖縄の方言ですね?ど
ういう意味ですか。」と聞きました。
「そうですね、」としばらく考えた具志堅は「ちゅーばーです。」と答えました。「それも方言じゃな
いか〜!」と私の家族はまたまたひっくり返りました。ちゅーばーは強い人という意味で、がーじゅー
とほぼ同義。いやはや、まったく・・・
具志堅と言えばその発言内容もさることながら、声や発音もすごく沖縄的。八重山は戦前三宅島など
から移住したヤマトゥンチュも多いので、エーマンチュ(八重山人)は本島の人より標準語がきれい、
と一般的には言われていて、実際私の石垣島出身の友人知人で、具志堅のような話し方をする人はいま
せん。昔聞いた話ですが、具志堅は父親が本島南部から石垣島に移住した人なので、本島の昔の発音や
イントネーションがそのまま彼には残っている、のだそうです。納得。
そんな具志堅も最近は、発声や発音は相変わらずですが、イントネーションはヤマトグチに近くなり、
発言内容も「あいえーなー」と思うことが少なく洗練されてきていて、東京暮らしも長くなるとさすが
の具志堅も進化するのね、と思うことしきりです。ちょっと寂しいような気もします。
3/9/06
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