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寄稿]
くわっちーさびら・その22
文・写真
稲福 達也
芋の時代
嘉手納基地の米軍機の発着が一望できる道の駅「かでな」に野国總管の座像が
ある。 江戸時代に飢饉から民を救ったサツマイモは琉球から渡ったものだが、その芋を1605年に中
国から持ち帰ったのが嘉手納出身の野国總管
で、その功績を示すように座像は左手に立派な芋
を持っている。それを見てすぐ私の頭に浮かんだことは、その芋はどんな味がしたかということだっ
た。どうもガチマヤーの性分は
そんなところにも表れてしまう。 |
野国總管之像 |
ところで、島唄にもある“芋の時代”を体験したウチナーンチュなら誰でも知っている〈沖縄100
号〉という芋がある。私は、小学生の頃にそれを食べたので、もう味や形状はよく覚えていないが、
つい最近までその名前から〈沖縄100号〉は沖縄だけで栽培された品種だと思っていた。ところが、
〈 沖縄100号〉は「戦中、戦後の日本の食の救世主」で「日本史上に燦然と輝く大品種」なのだそう
だ。開発したのは沖縄県立農事試験場に勤務した松永高元技師(鹿児島出身)で、早生多収穫で土質
を選ばず栽培しやすい〈沖縄100号〉は、昭和9年から昭和36年頃まで全国的に普及し、特に食料事
情が悪かった戦中、戦後に国民が飢えを凌げたのは〈沖縄100号〉のおかげらしい。また、〈沖縄100
号〉は戦時中に中国にも渡り、戦後は〈勝利100号〉の名前で中国でも広く栽培されたという。野
国總管が400年前に中国からもたらした芋は、沖縄を舞台に品種改良され、中国の民をも支える芋に
なって里帰りした訳だ。
もう〈沖縄100号〉は消えてしまったが、その味を知る人に訊くと、評価は各人各様だ。確かに今
は美味いサツマイモは多いし、紅芋のようにお菓子やアイスクリームにその姿を変えることもいいが、
私はもう一度小学生の頃の〈沖縄100号〉の味を噛みしめてみたい。
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