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[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

くわっちーさびら・その18

 

文・写真 稲福 達也

海流

 ゴールデンウィークに『海流』という1959年に沖縄でロケされた映画を観た。こ の映画は昨秋桜坂劇場で上映され、沖縄の当時の風景が出てくると話題になり、再々上映になっていた。 観客は私と同世代以上の夫婦連れが多く、若き日の岡田茉莉子が演じる島の娘が密輸団に追われるヤマ トゥンチュと恋に落ちる総天然色の娯楽映画だが、記録映画を観るような雰囲気の客席では、現在も定 番の観光地や沖縄の歌と踊りの場面が出てくるとあちこちでざわめきが起こっていた。 『海流』の看板が立つ桜坂劇場
『海流』の看板が立つ桜坂劇場
 私は守礼門の近くで育ったので、その周辺の風景が懐かしかった。首里城外の楼門の守礼門は『海流』 が撮影された前年に復元されたが、その頃は首里城跡に建っていた琉球大学の構内にあったションベン 小僧のそばの高い石垣に座って慶良間の海を眺めたり、記念運動場と呼んでいた枯れたアカギの大木が ある広場でよく遊んだものだ。映画にはその石垣も大木も映っていた。しかし、懐かしさとともに別の 記憶も蘇ってきた。『海流』には米軍基地も飛行機雲を作る戦闘機も1人の米兵も映っていなかったが、 私の中の“あの日の沖縄”では、守礼門に軍用ジープで来る米兵を遠巻きにして、私たち子どもは“ハ ロー、ギブミーチョコレート”と言っていたし、国際通りでは米兵がハーニー( ・・・・)(=蜜のこと。米兵の愛人になった女性をそう呼んでいた)を 連れて闊歩していた。
 そんな記憶からおよそ半世紀が経ち、郷愁を誘った映画の中の風景も変わった。しかし、それは風景 だけのことで、映画には映っていなかった米軍基地の存在は変わらない。 沖縄には (あらが)わなければならない危険な海流が今も流れている。



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