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応援団
寄稿]
沖縄
でーびる・最終回
文・写真
稲福 達也
故郷へ続く海
三十年も前の古い話だが、移民船“にっぽん丸”の元船長から最も思い出深い出来事として聞いた話で
ある。
神戸を出港してカリフォルニアに向かって航海中に船内で病人が出た。沖縄出身のウトさんというお年
寄りで、息子夫婦と五年生の孫の四人家族の移民だった。症状は次第に悪化し、すぐに入院させないと危
ないという船医の診断で、船長は、予定外だったハワイに寄港することに決め、下船するように家族に勧
めた。しかし、妻が「仕方ないさぁ、お父さん。病院に行ってから考えよう」と言い、孫は「オバアが死
ぬのは嫌だ」と泣いたが、息子は黙ったままで船長室を出て行った。その翌日の朝、船長が医務室に行く
と、ウトさんが目に涙を浮かべて話し出した。「船長様、昨日の夜、息子がハワイで船を下りて病院へ行
こうと何度も言いましたが、私は首を振りました。自由移民の私たちは、自分で仕事を見つけるまで借金
してきたお金を無駄には使えません。私の治療のためにお金を使えば息子たちの夢や生活を壊すことにな
ります。どうか息子と嫁と孫を助けるつもりで、このままカリフォルニアへ行って下さい・・・船長様、
この船が走っている海は、沖縄の海へ続いていますか。もし途中で私が死んだら、生まれ島の沖縄へ続く
海へ私を流してくれませんか」。ウトさんの目が遠くを見つめていた。
船は針路をハワイに向けたが、途中でウトさんは息を引き取った。船長は、ウトさん
の話を家族に伝え、水葬をとりおこなった。青い海を見つめながら、「オバアの魂は一足先に沖縄へ帰っ
たんだね」と孫が言った。 |
墓前の供え |
私は、この話をいつか何かに書きとめておこうと思っていた。今では元船長の顔も名前も忘れてしまい、
静かな話し方だけが記憶に残っているが、『沖縄でーびる』の最終回にこの話を書いて、なんだかすっか
り肩の荷がおりた気分である。
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