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応援団
寄稿]
沖縄
でーびる・その27
文・写真
稲福 達也
ウチナー芝居の涙
方言で演じるウチナー芝居には多くの名作と名優がいるが、標準語の交じったウチナ
ーヤマト口を使った笑いを武器に、笑築過激団がウチナー芝居の世界に新風を吹き込んだ。裕子さんは、
その劇団のマネージャー(本人の弁はジョーヒチャー=女中)をしながら女優をめざしていて、輝く瞳の
彼女と知り合った私は、仲間達と後援会を結成した。後援会は早速会報『そんな・ゆうこ』を発行し、彼
女が主演する芝居の脚本の構想を練った。 |
後援会報と脚本 |
幼い頃から歌や芸を披露して近所のオバア達のアイドルだった裕子は、それが高じて女優になる夢を追
い、恋人のツヨシの制止を聞かず東京へ出ていく。裕子は、黒潮に乗って流れ着いたパパイヤを見て沖縄
文化に思いをはせた民俗学者柳博士の家の女中になるが、博士は重い沖縄病を患っていた。沖縄病は、沖
縄に行って「心」の字の形をしたウィルスに感染すると発病するもので、別種の単なる「沖縄
かぶれ
病」とは違う。沖縄に行って治療することになった博士は、裕子を連れて30年ぶりに沖縄に渡る。
変わりゆく沖縄に戸惑う博士、ツヨシに再会する裕子・・・。
『
沖縄女中物語
』と名付けたギャグ満載の脚本が出来上がったが、それを読んだ彼女の感想は「涙が足りない」
だった。涙がたりない?そうか、そうなのだ。ウチナー芝居では喜劇でもチムグクル(心)を打つ涙の場
面が必ずある。人生は喜怒哀楽の繰り返しだが、芝居でも涙や人情の味付けが足りないとウチナーの観
客の共感は得られないのだ。しかし、後援会が発足して半年後、彼女は電撃結婚して休業し、今では可愛
い二児の母である。後援会の脚本は涙を継ぎ足す必要がなくなり、机の引き出しの中で眠っている。
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