[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

沖縄 (ウチナー) でーびる・その22

 

文・写真 稲福 達也

海を渡った豚

 1944年に沖縄ではアグーと呼ぶ黒豚が11万頭飼われていたが、翌年4月に始まる住民を巻き込ん だ未曾有の沖縄戦は、豚もわずか千頭に激減させた。その故郷の窮状を救うべくハワイのウチナーンチュ が「沖縄救済会」を結成し、豚を沖縄へ送る活動を展開した。“フール(豚小屋)に豚なし”の報に接し、 沖縄の戦後復興には、県民の食を支え、畑に肥料を供給してきた養豚の復興が重要と考えたのだ。194 8年8月、集めた5万ドルの資金で米国本土の家畜市場で沖縄の風土に合う白豚(チェスターホワイト) が購入され、計画が実行に移される。船の甲板に作った豚小屋に550頭の豚を積み、太平洋5000km の荒波を渡ったのは7人のウチナーンチュと米国陸軍が提供したジョン・オーウェン号の水兵ら23人。 7人は、船酔いに耐え全身糞まみれになりながら必死に豚の世話をした。船は、シケや海上に漂う機雷に 遭遇しながら、24日間を要してようやく勝連半島のホワイトビーチに到着する。生き残った536頭の 豚が陸揚げされた時、港に出迎えた人々は、初めて見る豚の白さに驚いたという。海を渡ったその豚は、 公平にクジで全県下に配布され、8年後には飼育頭数は戦前を上回る14万頭を突破した。 フール
戦前の石造りのフール(豚小屋兼便所)

ホワイトビーチ
現在のホワイトビーチ
(米第7艦隊補給基地)
 黒豚から白豚への“豚の革命”といわれるこの出来事は、単にそんな表現でとどまるものではない。先 月、私は、ホワイトビーチを見下ろす公園で、孫を連れて散歩していた老人に海を渡った豚の話を訊いて みた。老人は、当時のことを鮮明に覚えていた。そばで聞いていた孫がいつの頃の話かと言うと「オジイ が子供の頃の話だよ」と笑った。今月、その7人の勇士を主人公にしたミュージカル『海から豚がやって きた』のハワイ公演があるという。ハワイの人たちに感謝の思いを伝えるための企画だそうだが、ウチナ ーには次世代に伝えたい話がいっぱいあるものだ。 



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