[ちゃんぷるー・どっとこむ
応援団
寄稿]
沖縄
でーびる・その17
文・写真
稲福 達也
裸の大将(1)
去年、那覇で山下清展があり、有名な花火の絵を見れば鬱陶しい気分も晴れるかと思って出かけた。
傍にいた5歳くらいの子が母親に「この人は頭が悪かったのでしょう?」と何度も訊き、その都度「絵
が上手だったのよ」と母親がばつが悪そうに答えるのが可笑しかったが、実は私も山下清といえば20
年程前のテレビドラマ『裸の大将放浪記』の印象しかなかった。しかし、直に見た絵も良かったが、そ
こで買った『遺作−東海道五十三次』を読んで山下清像が一変した。
「ほんとの絵かきというのは ふつうの景色でもちゃんと絵にできる人かな そんならぼくは絵かきでは
ないな やっぱり ふつうの景色はふつうにしか描けないな」 というような、東海道の宿場町の絵に添えられた独特の文章と物の見方が面白いのだ。私は、すぐに『放
浪日記』と『日本ぶらりぶらり』を注文して読み、放浪が徴兵から逃れる為であったり、有名な貼り絵が
放浪で見た風景を思い出して描いたものだということを初めて知った。何年もの放浪を回想して書いたそ
の本は、裸の大将の愉快な話がてんこ盛りだった(それにしてもものがない時代に山下清におむすびをめ
ぐむ人々のそのやさしさ!)。
「わしも山下清に毛のはえたような男です」と言った人に「ぼくはびっくりしてぼくに毛がはえると
いうのは、どういうわけですか。どこに毛がはえるとあなたになるのですか」と訊き、「ぼくはもう三
十四で毛はみんなはえているのに、この上どこに毛がはえるのだろうか」と考えこんだり、ときどき自分
の新聞記事を読んで「みんな本当のことばかりではない気もするので、嘘と本当はどのくらいのわり
あいに世の中にあるものだか、わからなくなる。大ぜいが本当だといえば、嘘でも本当になるかもわから
ないので、世の中のことは、ぼくにはよくわからないのです」と疑問を持つ。世間の常識と山下清のもの
の見方のぶつかり合いから生まれるそんな話を癒されるような気分で読みながら、私は、山下清の目に沖
縄がどう映ったか知りたくなった。
山下清は沖縄にも来た。私はそれを山下清展で売っていた守礼の門の絵葉書で知り、新聞社(琉球新報
)の資料室で調べてみた。1960年、「放浪よ、サヨナラ」の言葉で終わっている『日本ぶらりぶらり』
が出版された2年後、当時38歳の山下清は、育ての親といわれる式場博士らと共に4月13日に来沖し、
1週間滞在して山形屋デパートで作品展やサイン会が行われていた。(次回へ続く)
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