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本サイトでチャービラサイを書いて下さっている稲福達也氏がわ ざわざチラシを送ってくれて、意を決して観に行った映画です。ええ、観るべき映画ということは分かっていたん ですが、この夏はとにかく暑くてげんなりしていて、最初に東京で公開されたときは、その重いと予測される内容 に対峙する気力がなくて、やり過ごしてしまいました。東京もようやく涼しくなってきた頃、恩師の観ろという 無言の圧力(いえ、そんな押し付けがましいことをする人じゃありません、私が勝手に感じただけですが)には 逆らえず、まあもともと観なくてはと思っていたし、出かけるのにいい気候になっているしで、 ポレポレ東中野で観てきました。いつも地味だけど興味深い映画のかかっている、昔のジァンジァンみたいな 雰囲気の劇場です。 |
ウチナーンチュとして本当に恥ずかしいことなのですが、私にはデモや座り込みに参加する人は仕事もなくてヒマ な人、という意識がどこかにありました。もちろん米軍基地や教科書問題に対する抗議の県民大会などは、普通のウチ ナーンチュのまっとうな抗議であることは承知していて、できることなら自分も参加したい、と思っていたのですが、 東京で行われる基地関連の抗議デモは何か違う、と違和感を覚え、震災後の反原発デモなどもあまりにも教条主義的で 冷静さを欠いたものに思え全く共感できずに、いつの間にかそういうもの全体を快く思わない自分になっていました。
しかし、この映画で取り上げられている沖縄県東村の高江の座り込みは、全く違ったものでした。そこで座り込みを 始めた人々は、仕事もなくヒマな人などではない、やりたい仕事を思う存分やりたくても生活が脅かされているから、 止むにやまれず座り込んでいる人々、座り込み以外に有効な手段もない人々なのでした。まず画面を通じて高江の 人々の静かな怒り、焦燥感、恐怖がひしひしと伝わってきました。そして、今まで聞いたこともなかったSLAPP (Strategic Lawsuit Against Public Participation) 裁判(国策に反対する住民を国が訴える、力のある団体が 声を上げた個人を訴える弾圧・恫喝目的の裁判で、アメリカでは多くの州で禁じられている)というもの、高江 で過去に行われていたこと、座り込みに至る経緯などが非常に分かりやすく描かれています。
この映画の前半で、私のデモや座り込みに対する偏見、認識の甘さというか無さを思い知らされて、それこそ頬を 平手打ちされたような、目を覚ませ、と頭をゴツンと打たれたような気がしました。「沖縄の負担軽減」と言い ながら政府が沖縄の地元住民に対して行っていること、沖縄に対して押し付けていることから目を逸らしてはい けない、と説教されている気がしました。東京で暮らしていると、沖縄は可哀想だけど仕方がないのかなあ、 と思いがちですが、高江で座り込まざるを得ない人々のことを考えれば、絶対に「仕方がない」とは言えません。 沖縄の基地の問題、ひいては安全保障の問題は常にどうすべきか考え、考え続けなければならない問題だと、 改めて思い知らされた映画でした。
この映画を観るべき、重い映画だと思っていた私でしたが、子供たちが昔のように粗末な服装で裸足で畑や 山を駆けずり回るシーン、座り込みや仕事が終わった夜にバンドでギターを弾いて歌い、リラックスした笑顔を 見せる、裁判で被告となっている住民の様子など、映画にはちょくちょくほっとできるシーンや懐かしい歌が 流れ、決して重苦しい映画ではありませんでした。まあ、娯楽映画とは決して言えませんが、抗議は拳を振り 上げるだけでは続けられない、ということをさりげなく感じさせてもくれる軽やかな映画でした。
機会があれば、ぜひ多くの人に観てもらいたい映画です。
11/04/13
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