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今月のレビュー

このページでは、沖縄関連の本、音楽、コンサート、映画などを論評(レビュー)していきます。

今月は、去る5月15日まで会期を延長して横浜市の新聞博物館で開催されていた、写真展 沖 縄・終わらない戦後を取り上げます。

沖
縄・終わらない戦後この写真展は大城弘明・前沖縄タイムス写真部長撮影の約250点を通し、沖縄戦の傷跡や 本土復帰のありよう、今も続く米軍基地被害など、住民視点で全国に問い掛けるものです。私はニュ ースサイトで紹介されている案内を見て、戦後復興を成し遂げたウチナーンチュの逞しさがよく分 かる写真展だと思い、今回の大災害からの復興へのヒントになるのでは、とこのサイトの 沖縄関連イベント情報でも紹介し、足を運んでみたのですが、ウチナーンチュの逞しさも見えま したが、何より戦争の悲惨さ、戦後の沖縄のねじれた現実がよく分かる写真展でした。

大城氏は沖縄戦の激戦地であった三和村で生まれ育った報道写真家ですが、写真展ではまずこの現在 では「地図にない村」三和村の説明がなされます。私は戦争中この激戦地を逃げまどっていたであろう 父の口から「みわそん」のことを幾度か聞いていて、村の全住民が戦争で亡くなり地図から消えた村、 と思っていたのですが、そうではなく、激戦地となった真壁・摩文仁・喜屋武の三つの村が1946 年に合併し三和村となったものの、1961年に糸満町・兼城村・高嶺村と合併し(新)糸満町が誕 生し、三和村は僅か15年で消滅した、ということがよく分かりました。

また、真壁・摩文仁・喜屋武の各村でどれだけの住民が犠牲になったのか、家のマークの棒グラフで 分かりやすく説明されていて、被害の深刻度がぱっと見てイメージ出来るようになっていました。 写真展の前半は、このような激戦の跡地で生まれ育った大城氏が自分の親族や家、その周辺の風景、 行事を撮った写真で構成されていて、当時の沖縄の厳しい現実を表現しながらも、家族のアルバムを 見ている時に感じるような懐かしい、暖かい気持ちにもさせてくれました。沖縄の1960年代、 70年代を知っているウチナーンチュにとっては、おととし同博物館で開催された写真展「あんや たん沖縄」と同じような感慨を抱く写真の数々です。

そんな中で一番衝撃的だったのが、戦争中米軍の爆撃で目を負傷した大城氏の祖母の写真です。顔の 半分くらいが異様に大きな白い眼帯で覆われていて、人前では絶対に眼帯を取らなかったというこ とですが、傷口そのものが写されているわけではないのに、否、隠されているからこそ、オバアの 心の傷の深さが現れていて、胸を衝かれる思いがしました。最初に見た祖母の写真に衝撃を受けた ものの、後に見た何枚かは孫をあやす優しい表情だったり、ちょっとお茶目な表情だったり、眼帯を していることを忘れさせるような、明るい普通の沖縄のオバアそのもの。ひどい傷を負ったものの、 戦後は普通の家庭の幸せも味わっていたことが分かり、ほっとしました。

次に衝撃的だったのが、住む人が亡くなり廃墟になった家の写真です。ほとんど更地、原っぱのよう になった屋敷の一隅に、コンクリート製の御願(ウガン)(お祈り) を捧げるためだけの小さな家(というか、仏壇)が建てられていて、仏壇に置かれているようなお 茶碗や花瓶が備えられています。沖縄に住んでいたのに、こういうものを見た記憶が全くなく、非常 に驚きました。実際に見たことがあったのに、何を意味しているのか理解出来ず、記憶に残ってい ないのかもしれません。風景としての異様さと、それでも祈る人がいて祈る場所を作っていること に衝撃を受けました。

ガマの中の日本兵の遺留品や遺骨の写真からは、当時の沖縄にまだ残っていて、私自身も子供なが 感じた戦争の「霊気」が立ち上ってくるようだし、復帰前の「コザ騒動」やゼネストの写真からは ウチナーンチュの怒りの礫が投げつけられて来るようです。当時を記憶している沖縄人として、忘 れてはいけないこと、伝えていかなければならないことがあることを、再確認させられた写真展で した。

そして、何度も新聞やテレビで見た鳩山前首相来沖時の「怒」のプラカードの波。写真展で観てみ ると、改めて沖縄の人々の怒りがひしと感じられ、米軍基地の再編問題を忘れてはいけない、直視 しなければならない、と強く感じました。

5/24/11

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