Home>愛さ、沖縄>サイトマップ
[ちゃんぷるー・どっとこむ
応援団
寄稿]
愛
さ、
沖縄
97.カチャーシー
明治33年生まれの私の祖母は、テレビをよく観ていて、現代の物を何でも知っていて、時代に乗り
遅れているという感じではありませんでした。玄関に置いてあった弟のスノーボードを見て「雪の上
をこれに乗ってスイスイ行くんだよ。おばあちゃんはテレビで観た」と、誇らしげに言っていたこと
もありました。そんな祖母は、私が初めて沖縄に行ったときに、沖縄の人はみんなきれいな着物を着
ているのか、沖縄の人はみんな髪の毛をくるくる巻いているのか、沖縄の人はみんな英語が話せるの
か、と聞いてきました。テレビから得た知識で何でも知っていると思っていた祖母でも、昔のイメー
ジのままの沖縄を思い描いていたのでしょう。明治生まれの祖母でなくても、沖縄ってどんなところ
で、どんな人が住んでいるのだろうかという勝手な想像をしている人って、案外たくさんいるような
気がします。例えばこんなこと。
沖縄の人はみんな
@エイサーが踊れる
A三線が弾ける
Bうちなーぐちで話す
Cなんとかちゃんぷるーとか、毎日沖縄料理を食べている
Dカチャーシーが踊れる
どれも、「それはないかな・・・」ということばかりですが、観光客にとってはそうであって欲しい
という気持ちになるものです。私自身も初沖縄で、みんな三線弾けるわけじゃないんだ・・・とがっ
かりしたことを覚えています。
でも、なんとなく、カチャーシーなら、みんな踊れるのだろうと思っていましたが、そうでもない
様子。うちなんちゅでもうまく踊れないカチャーシーなのだから、内地の人間がそんなにうまく踊れ
るわけがありません。でも、沖縄民謡を聴きに行くと最後は必ずカチャーシーになり、ステージ上か
らは「上手でも下手でも楽しく踊ったらいいサー」なんて、声を掛けられて、私を含め沖縄好きの客
が手を上げて踊り出すのです。私も最初はなんとなく手を動かしているだけで、「あ〜、楽しかった
!」と満足してコンサート会場を出ていたのですが、だんだん、「これって、カチャーシーじゃない」
と思い初め、雑誌で「カチャーシーの手の動き」というのを見て練習したり、いろいろな機会にカチ
ャーシーをまねして研究して、「おっ、我ながらさまになってきたかも〜!」という段階で、エイサ
ー隊に入ったり、琉舞を習い始めたりしたので、今ではとっても心地よくカチャーシータイムを満喫
できるようになりました。
先日も、那覇の民謡酒場で楽しんだ後、カチャーシータイムになり、もちろん私は楽しく踊り、民
謡歌手の店長さんにも、隣の席のうちなんちゅのおばさんたちにも、「おねーさん、カチャーシー上
手ね−、こっち住んでるの?」とほめられました。だいたい、カチャーシータイムの後は声をかけら
れるので、それもまたうれしいのです。カチャーシーは踊れなくても楽しいけれど、「これだ!」と
いう感覚がわかるともっともっと楽しくなる踊り。東京で民謡ライブに来ているお客さんたちももっ
とカチャーシー研究したらいいのに〜!楽しいよ〜と思いつつ、なんとなく「この沖縄好きの集団で、
カチャーシー上手な私が、世界一沖縄が好きなのだ〜!!!」という優越感もちょっぴり味わってい
るところです。
しかし、うちなーぐちを話せない世代、沖縄民謡を知らない世代と同じくらいの危機感を持って、
カチャーシーが踊れない世代もどうにか考えた方がいいような気がするのは私だけでしょうか。
12/07/11
▲ページトップへ
このページに関するご意見、ご感想はこちらまで
|