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96.沖縄の風 IN 世田谷
「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」というイベントがありますが、私は10年前に、このイベン
トに合わせて沖縄に行ったことがあります。今では東京でも、このイベントが行われていますが、も
ちろん、10年前にはイベント会場に止まっている車で「わナンバー」は、私の車だけでした。全員う
ちなんちゅで、さらに、三線を持って歩いている人の多いことに「???」と思いながらも、着席し、
まもなくすると開幕。すると、私の周り、ほとんどの人が三線のケースを開き初め、ちんだみを始め
ました。そして、舞台には琴、太鼓など、ものすごいたくさんの人が客席の方を向いて演奏準備に入
り、会場の人々は舞台の方を向いて三線を構え、12時の時報とともに両者一斉に「かじゃで風」を弾
き始めたのでした。舞台からも会場からもサラウンドで「かじゃで風」を聴いた、このときの衝撃は、
本当に忘れられません。そして、次にこのイベントに来るときは私もみんなと一緒に三を線弾こう!
と決意したのでした。
10年の歳月が流れ、ここからが今回のお話。前回のコラムの出来事の前の「人間国宝 照喜名朝一
先生のさんしんワークショップ」の感動体験です。東京辺りに住んでいる人間国宝という名のついた
方々は、一般に目を触れぬよう生きている感じですが、沖縄では人間国宝という名のつく人や、とっ
ても有名な方が、気さくに挨拶をしてくれたりフレンドリーだったりするような気がします。この、
照喜名先生もまさにその一人でした。首里城の中秋の宴などで格式高く歌っているあの方が、世田谷
区のこんな田舎の民家園で20名ほどを前に、歌ってくださるとは・・・!このすばらしい企画のワー
クショップに抽選で当たった私は、三線担いで、雨の中(うれしいときには決まって雨なのです)い
そいそと出かけ、一番前の座布団をGET!みなさんに習い、三線を取り出しつつ、隣の見知らぬおばさ
んと世間話をし、すっかり和んだ中、照喜名先生が登場し、まずは1曲、世界のうちなんちゅ大会の
ために先生が作ったという歌を披露してくださいました。そして、あの、「ゆかる日 まさる日 さ
んしんの日」を彷彿させるような「みんなでかじゃで風」となったのぁ・・す。予測していたにもか
かわらず、私はさんしんを1年くらい触っておらず、10年前の思いはどこへやら、かじゃで風は弾い
たことがない。三線のケースすら開けていなくて、工工四も持ていない・・・。しまった!と思った
時には後の祭り。でも、一番前だったので、照喜名先生にちんだみをしてもらい、「きゃ〜!もうこ
の三線、誰にも触らせな〜い!」と、マッチに握手してもらった右手を洗わない心境に陥り(古い!
しかも、握手してもらったことないです)、かじゃで風が弾けないことなどすっかりどうでもよくな
ってしまいました。
かじゃで風は・・・というと、私は全く弾けず、先生の手を見てついていくという状態で、たぶん
そういう人が私以外にもいたのでしょう、先生は見やすいように手を動かしてくださり、なんと優し
い心配り!と感動。その後は古典を何曲か弾き、その声の張りと言ったら、これはもう80歳とは思え
ない、スピーカーついているのか?と思うような声量で、息も長く、驚くことばかりでした。聴いて
いるそばから「こんな体験ができることなんて、滅多にない!もう何ヶ月も沖縄に行けなくて、へこ
んでいたけど、がんばっているといいこともあるんだ!よかったよかった!」としきりに思った私で
した。ワークショップは、最後にみんなで「安里屋ゆんた」を弾き、おしまいとなりました。
この世田谷区主催のワークショップ、どこから聞きつけたのか、練馬区や杉並区や川崎市から参加
している方もいて、ほとんどの方が三線を持ってきていて、沖縄ブームはまだ健在なんだなあと思い
ました。胡弓を持ってきた方もいたのですよ。でも、そこで私が思ったことと言えば、やはりただひ
とつ。「みんな沖縄が好きなんだなあ。でも、絶対に私が世界一、沖縄を愛しているのだ〜!!!」
この日は家に帰ってすぐに三線を弾き、次の日の「おじさんとの飲み会」以降、和室に三線を出し
っぱなしにして、時間のあるときに弾くようにしている私です。次の機会には「みんなでかじゃで風」
にきちんと参加するぞ!
11/02/11
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