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[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

(カナ) さ、 沖縄 (ウチナー)

いとうまきこ

86.2010年最大の出来事

 小さい頃からどこへ行っても、姉は「美人で頭がよい子」で、私は「愛嬌があってにこにこした子」と 言われ続け、「お姉ちゃんはいいなあ」といつも思っていました。愛嬌があるだけでかわいくなくてもな んでも、誰だって小さい頃はテレビに出たいと思いますよね。私の場合、まずはロンパールームの「ロン パパパッパ ロンパッパ♪」という、うたに合わせてねずみやねこのゼッケンをつけて2チームで障害物 競走をするゲーム。でも、これはちっとも募集をしていないようでした。それから、みどりおねえさんの 「鏡よ、鏡よ、鏡さん」のコーナー。こちらは、「まきこ」なんて名前はあの頃流行っていなくて、一度 も呼ばれませんでした。それからピンポンパンのエンディングコーナーの大きな木の洞穴におもちゃを取 りに行くコーナー。これも「出てください」と言われませんでした。最後はNHKの「ピアノのおけいこ」 です。これは姉とオーディションに行き(もちろん私はおまけ)、見事一次で落選。そして姉は一次に通 りました・・・。私は「愛嬌がある」ということだけで、幼少期を過ごしたような気がします。姉は大き くなってからも「美人さん」で、町を歩けば当時流行の「CanCam」や「JJ」のスカウト隊に名刺を渡 されたり、電車の中で告白されたりと、モテモテだったのに対し、私ときたらいつもクラスで2番目のグ ループの真ん中をキープしているような子で、挙げ句の果てに、弟の友達がうちに遊びに来たときに「お まえの上のねーちゃん、かわいいなあ」と言っているのを小耳に挟んでしまったのです!ふんっ!あたし ゃどーせ下のねーちゃんですよ!まあ、持って生まれた物ですから仕方がないのですが、それ以来「私は かわいくない普通の子」という人生を送ってきたのでした。
 そんな私のテレビデビューは沖縄。ダイビングで訪れた渡嘉敷島に「もっと遊ばNIGHT!」という番組 の収録が来ていたのです。撮影させてもらえますか?と聞かれ「うぉ〜!テレビだ〜!」と思ったのです が、送られてきたビデオを観たら私と友達が映っていたのは海の中のみ。しかも、ダイビングショップの テラスで「海の中、楽しみだね」とか言っている知らない人がいて、私たちは海の中の替え玉だったので す。例え替え玉でもテレビに映ったのは事実ですが、これももちろん、私の友達が、誰もが振り返りたく なるくらいかわいかったからなのです・・・。
 こんな私ですが、20歳を過ぎてからは、たま〜にお世辞で「かわいいね」と言ってくれる人も出てきて (主にはこども。「せんせい、かわいい〜、だ〜いすき」という感じの・・・)、近年では子どもと過ご していたため、同年代の人よりは若く見えるらしく、琉球舞踊の先生のお友達に「かわいいさ〜。琉装さ せたらお人形さんみたいさ〜」と言われたりするようになったものの、小さい頃の「上のねーちゃんはか わいい」という言葉が忘れられずに毎日を過ごしていました(大げさ!!)。それが、つい最近、那覇の パレットくもじのレストランで、先輩のK先生とごはんを食べていたら、見ず知らずのおばあちゃんが私 たちの座っていたテーブルに歩いてきて「まあ〜、きれいな人ねえ。内地の方ね〜。うちなーにはこんな きれいな人おらんさ〜。ほんとうにかわいいさ〜。」と言ってくれたのです。こんなこと言われたことが ないのでびっくりするやらはずかしいやら・・・私はなんと言っていいかわからず「うれしいです。あり がとうございます♪」と何度も言ってしまいました。
 このおばあちゃん、なんであんなにほめてくれたのか、よくわからず、狐につままれたような感じでし たが、おばあちゃんのおかげで、沖縄にいる間中、毎日お稽古で怒られ、しょんぼりしていたのが一気に 明るい道が開けたと同時に、これからは、あの、「上のねーちゃんはかわいい」という言葉にとらわれな い人生を送れそうです。(これもまた大げさですが)。
 人生の折り返し地点を少し過ぎた私に、とてもうれしいことがあった、2010年12月の沖縄でした。201 1年の目標は「極める」です。琉球舞踊にも力を入れる所存でございます。今年もよろしくお願いしま〜 す。

1/05/11

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