Home>愛さ、沖縄>サイトマップ

[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

(カナ) さ、 沖縄 (ウチナー)

いとうまきこ

113.誠小(せいぐゎー)への思い

 3月21日の朝、父から「沖縄の登川誠仁さん亡くなったよ」と知らされ、私は電話口で絶叫。何で ?何で!やだ〜!どうしてぇ〜・・・・・・!!!と軽いパニック状態でした。急にそんなこと言わ れても、どうすればいいんだ?でも、新聞に載っていたことなのだから事実だし、オロオロしながら、 とりあえず主人と「ちゃんぷるー」のコラムを書いている稲福先生にメールをしましたが、メールし たからって何も変わらない私の心。とりあえず誠小(せいぐゎ−:登川誠仁さんのこと)のCDを聴 こうと思い、スイッチオン。1曲目、誠小の歌声が聞こえてきたところで、涙が溢れ、ひとりしくしく 泣き続けました。 次にネットで調べてみると、いろいろな新聞で取り上げていて、全てを読み、ま た涙・・・。
 私が最後に誠小の姿を拝見したのは、去年の琉球フェスティバル。長年、入退院をくり返しながら、 合間にこうしてライブをしていたようでした。大城美佐子さんとのライブにも行ったし、単独ライブ も行ったし、私、誠小のことが大好きでした。晩年はライブで必ず「もう、ただ、息をしているだけ です」と言いつつ、カチャーシーを踊ったりしていました。私はりんけんバンドもパーシャクラブも 好きですが、25年前に誠小の歌を初めて聴いたとき、「沖縄っていいなあ〜、民謡って素晴らしい!」 と感動したのです。沖縄民謡を若者に伝えるときに、若者にうけるようにアレンジしなくても、十分 なんだと確信したのです。琉球フェスティバルに集まる東京近辺の若者は、琉球フェスティバルで初 めて誠小を知った人が多いと思います。そして、たぶん目当てはパーシャクラブや私の知らない若者 グループと、沖縄の雰囲気だと思うのですが、とりで出てくる誠小に、たくさんの若者が「せいぐゎ 〜!!!」と歓声をあげて、大きな拍手を送るのです。若者からも指示される80歳のおじい、かっこ よかった・・・。
 新聞の記事には、昔のインタビューも載っていて、「嘉手苅林唱さんが亡くなったとき、もう、自 分しか沖縄の歌を後世に残せる人間はいない。病気になってはだめだ。酒はやめようと思って、60代 で酒はやめた」というものがありました。昔の歌で、まだ収録していない物もたくさんあるから、ど んどんやらねば・・・とがんばっていたとのこと。いつもライブでは「息をしているだけ」とか、お ちゃらけつつも、やっぱり、ちゃんとしたおじいだったんだと、また涙し、本当にこの日、私は一日 中落ち込んでいました。握手をしてもらったわけでもないし、ただCDをたくさん買って、ライブに 行っていただけのファンですが、私みたいにこの悲しいお知らせを聞いて、がっくり落ち込んでいる 人、たくさんいるんじゃないのかなあと思います。
 「お酒は60代でやめた」といいつつ、琉球フェスティバルでは司会のゴリが「楽屋で登川誠仁さん が、ガンガン飲んでいて、どんどん注がれる」と言っていましたが、それが本当で、インタビューが 嘘でも、また反対に、それが嘘で、楽屋で飲んでいるふりをしたり、観客が「酒好き」のイメージを 崩さないようにしていたとしても、どっちでも誠小だなと思ってまた涙。その後、琉球フェスティバ ルの案内メールが再度来て、最後の一行に誠小が亡くなったことが載っていてまた涙。
 誠小亡き後も、みんなで沖縄民謡を聴こう!みんなで伝えてくれ!この先、沖縄ブームが去ったと しても・・・。

04/10/13

▲ページトップへ



このページに関するご意見、ご感想はこちらまで

お名前:
メールアドレス:
ご感想:

HOME