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[ちゃんぷるー・どっとこむ 応援団 (チバリヨー) 寄稿]

(カナ) さ、 沖縄 (ウチナー)

いとうまきこ

109.親孝行の旅

 去年の4月、私の両親は金婚式を迎えました。お祝いに沖縄旅行+私の琉装結婚式を計画していました が、父が闘病生活に入ったため延期し、先月やっと、念願の「金婚式おめでとうツアー」が叶いました。 予定していた私たちの琉装結婚式は、盛りだくさんすぎるので別企画にすることにして、今回は、私の 琉球舞踊の舞台を観ることと、父の希望の宮古島へ行くことになりました。 父と母は12年前に沖縄本 島の旅、11年前に八重山の旅をして以来の沖縄で(もちろんそのときも私がお伴して楽しい沖縄旅行で した)、飛行機の予約をしてから旅行当日までとっても楽しみにしていた反面、高齢なことに加えて体 調の心配も重なり、前日まで気が抜けない準備期間でした。父は80歳。肺気腫+がんを煩い、「もう、 最後の旅行だと思っている」と言い、旅に出ました。
 旅先での酸素を確保したり、飛行機に乗るには、酸素会社に酸素の手配をお願いしたり、医師のサイ ンをもらったり、航空会社に提出する書類があったり、普通の旅行よりも手間がかかりますが、これは 一度経験してみると次からは楽に理解できそうでした。もし、在宅酸素で旅行は大変だ・・・としょん ぼりしている人がいたら、勇気を持って旅に出て欲しいです。酸素の会社も航空会社も、とても親切で、 特に航空会社は一般向けの何十倍も手厚いんですよ。私が一人旅の時は何度コールボタンを押してもち っとも気づいてくれなくて、とうとうムカッと怒ったこともあるくらいなのに、車椅子を利用した父と 一緒だと、何から何までお世話してくれて、搭乗してからもお手ふきや飲み物やキャンディなど、目の 配りようが違いました。とにかく、飛行機に乗ることもとても心配していた父でしたが、手続きは私が 済ませたこともあり、なんなく飛行機に乗ることができました。とは言え、やはり疲れてしまい、民謡 酒場で夕飯の案は断念し、初日の夕飯はホテルのレストランで済ませました。以前も泊まったことがあ るホテルなのですが、なかなかおいしいレストランで、父も母も大満足・・。私は二人を残して琉球舞 踊のお稽古に行ったのですが、父と母はもりもり食べ続けました。
 次の日は、那覇市民会館での「チャリティー芸能公演」で踊る私を観に来て、 一日が終わってしまい ましたが、うちなんちゅに混じって、琉球舞踊やマジックなどを観るという貴重な体験をして居眠りも せず、しっかり楽しんだようでした。夕飯時間には主人も那覇に到着し、いつもお世話になっているK 先輩のお友達の沖縄料理のお店へ。んむくじぷっとぅるーや、たーんむなど「おいしいおいしい」と食べ、 普段は健康上の理由から飲まないビールや泡盛も飲み、ご満悦。しかし、飲み過ぎないようにという私 の優しい気持ちから、ついつい、泡盛が薄くなり、「これじゃあ、ただの水だ。」としょんぼりしてい たので、しかたがなくからからを渡すと、どぼどぼ泡盛をつぎ足していました。泡盛も飲んで気分上々 でホテルに帰ったのはいいのですが、なんと、大事な杖をお店に忘れ、夜中に私が取りに行き一件落着。
 さて、次の日からはいよいよお楽しみの宮古島!「よーし、楽しい旅行にするぞ。」なんて思ってい たのがいけなかったのか、到着した日から雲行きが怪しかったのですが、とうとうこの日は朝から本降 りの雨。ザーザーを通り越し、バケツをひっくり返したような雨とはこういうことだ・・・という土砂 降りの中、出発。宮古島も雨が降ったりやんだりでしたが、幸い傘をさすほどではなく、景勝地をのんびり ドライブ。でも、曇り空なので「これぞ沖縄の海だ!」という色を見せることができない上に、私は声 が出なくなり、父も母も主人も「うるさくなくていいね」と喜んでいましたが、観光案内が進まず、消 化不良の私でした。この日の夕飯は、民謡酒場へ。民謡には少し飽きてしまったようですが、最後のカ チャーシーで、楽しく踊る私に、民謡ショーをやっていたお店のご主人と奥さんが「カチャーシー、上 手ねえ。沖縄の人より上手い!」と声をかけてくださり、父にとっては「自慢のかわいい親孝行娘」が ほめられ、とても嬉しかったようでした。
 4日目は、伊良部島へ船で渡り、だんだん晴れてきて、とってもきれいな海を見ることができました。 父は、上り下りのあるところを歩くことが難しいので、カフェでくつろいだり、砂浜で海を見たり。本 当にのんびり観光でした。晴れてきたから・・・ともう一度展望台に行き、フェリーで戻ってから2回目 の池間大橋に行き、まだ16時くらいでしたが「もう、お父さんは疲れているからホテルに戻ろう」と主人 に諭され、夕飯はホテルで食べ、次の日はチェックアウト後少し観光して、宮古そばを食べてから空港へ。
羽田からはマイカーで帰宅し、金婚式おめでとうツアーは終わりました。父も母も、次の日から3日間 ほど続けて「ありがとう」と言い続け、父は「本当に楽しかった」と毎日メールしてきました。1ヶ月経 った今でも、毎日宮古島の写真を観て楽しんでいます。そして、弟や姉に写真を見せながら「杖を忘れた 話」と「私が民謡酒場でカチャーシーをほめられた話」と「砂山ビーチと通り池は途中で断念したけどが んばって歩いた話」を嬉しそうに話しています。
 私としては「宮古島と言えばここ!」という、通り池と砂山ビーチに、おぶってでも連れて行きたいと 思っていたのですが、「無理したらかわいそうだよ」という主人の言葉に「そうだね」と、諦めることが できました。主人が一緒じゃなかったら、「一歩一歩進めば、必ず着く!」とか熱血体育会系のことを言 いながら、無理をさせていたかもしれません。主人は私たち3人より早い飛行機で宮古島に行き、先にレン タカーを借りて宮古空港に迎えに来てくれたり、大活躍でした。きっと、両親は「牧子は幸せなんだなあ」 ということも実感できた上に、憧れの宮古島にも行けて大満足の旅だったと思います。毎日親孝行の私で すが、本当に金婚式おめでとうツアーに行けてよかったよかった!
 父は帰宅後、「これが最後の旅行だと思っていたけど、まだ行けそうだ。体力つけるぞ!」とはりきっ ています。次回は毎日天気のいい沖縄へ連れて行こう!

12/10/12

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